多忙さの中で思う。
確かに多忙は疲れる。
肩はコリコリだし、目も痛い。
時間が欲しい、時間が欲しいと日々叫んでいる。
睡眠時間も短く、すさんだ生活とも思える。
でも、この忙しさが無ければ何をしているだろうか?
さして趣味と言えるものもないし、それにかける情熱もない。
持てあますほどの時間を変身させるほどのお金もない。
一般庶民に多くの個人的時間がいるのであろうか?
雲の切れ間から覗いた太陽程の少しの時間があれば良いのではないか…。
後は、いそいそと仕事…。言いかえれば、社会に帰属してること。
刺激とかストレスにさらされながらでも
自分の存在を感じ、必要とされているのが幸せではないかと思う。
どんな形であれ社会に帰属し続けるのは、庶民でもできる。
大金持ちだけの特権ではない。
ある意味、社会の大半は庶民の組織体だから
庶民に与えられた特権かもしれない。
そう言う意味では、細く長く働き続けるのも悪くはない。
ボケ防止にもなる。
ただ、若者の邪魔になるのだけは避けよう。
いわゆる「老害」だ。
年功序列で年下が遠慮しているのを幸いに
我がまま勝手は許されない。
年が大きく違えば、他人種と考えても間違えではないだろう。
それほどの距離を意識しながら礼儀を尽くすのだ。
かく言う私もそう考えながら自分の老齢期を考える。
細く長く社会に帰属し続けるためだ。
忙しさに感謝。
社会との繋がりに感謝。
ちょっぴり、体に気を付けて、
長生きするするど~!!
それは、ちと、無理か…。(笑
以上 sakaki