過去の時間の流れを歴史と呼び、
●●時代、●●時代と整理するのは学問上は効率的だ。
でも、考えてみると現実にあるのは自然と人間の営みだけなのだ。
永遠と続く時間の流れ…。
いずれ、我々の生きてる時代も過去として定義づけられ分析の対象となる。
何が言いたいのかと言うと、
どの時代にも武将がおり、戦略家がいると言うことだ。
ちょんまげ、刀の時代の専売特許ではないのだ。
時代の環境で道具や服装が変わるが人間の営みの本質は変わらない。
すなわち、今の時代でも国盗り物語は存在するのだ。
刀が情報、組織の力に変わっただけ…。
何も明治維新に生まれてこなくても、
戦国時代に名乗りを上げなくても国盗りゲームには参加できるのだ。
もっとも、能力と器が無ければ参加できませんが…。
いつの時代だってそうかもしれない。
一握りの野心家と大衆と言う構図だ。
大衆は、何も見えずに何も聞こえない。
そして、それが世間様の常識となる。
結局、一握りの野心家しか見えないもの、聞こえないものがある。
得てして野心家は、変わり者のレッテルを張られる。
時代劇では、英雄扱いされている野心家なのに。
生きてる時代は、変わり者だ…。
実に人の世は興味深い。
人の意識も面白い。
国盗り物語がここにあるのも愉快、愉快。
出陣の法螺貝の音が聞こえてきそうだ…。(笑)
以上 sakaki